3日目(3月10日)
原城は1496年、有馬貴純によって築かれたといわれ、その後1616年に松倉重政が入城するも島原城を築城、一国一城の令もあり原城は廃城となりました。 1637年から1638年にかけての島原の乱の際に廃城となっていた原城に一揆が籠城、乱の終結後に幕府軍が徹底的に破壊したため、現在はお城が建っていた面影もありません。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産として世界遺産に登録されています。 ホント、ホボ何も残っていないので、想像を働かせて見るしかない… それでも所々に見られる石垣の跡などからお城の雰囲気を感じられる… かな!?
続いて、有馬キリシタン遺産記念館。原城前より一つ島原寄りのバス停から山道を登ることしばし。パンフレットを見ると、本当は一つ先のバス停からの方が近かったようです(^^; 原城跡を中心とする、南島原におけるキリシタン史を展示したガイダンス施設で、キリスト教の伝来から繁栄、そして弾圧や島原・天草一揆の歴史を紹介しています。館内はそれほど広くはないけど、興味深く見てくることが出来ました。 バスの時間があるので、ちょっと駆け足気味になってしまったのが残念…。 アンケートに答えたら、↓写真右のお菓子とクリアファイルもらいました。入場料の300円より高く付いてそうですね(^_^;) 島原駅まで戻り、島原城へ。1618年から7年の歳月をかけて松倉重政が築いたお城です。250年に渡り4氏19代の居城でしたが明治維新により廃城となりましたが、1964年に天守閣が復元され、現在は天守閣にはキリシタン史料や郷土史料、その他の建物も資料館などに利用されています。
鎧を始め、藩主関係のものや庶民の生活用品等々、の展示もあったけど。キリシタン関係、マリア像の写真を多く撮ったようです(^^;
西望記念館となっている巽の櫓、民具資料館となっている丑寅の櫓なども見つつ、この後の時間が読めなかったので、全体的にちょっと急ぎ過ぎたかな(^^;
武家屋敷へと向かいます。島原城の外郭の西に接して建設された、70石以下の下級武士たちの住居があった場所。街路の中央には湧水が流れています。茅葺きの武家住宅3軒が一般開放されて自由に見学ができます。 他は普通の民家なのでしょう。特に何があるわけでもなく、この時は観光客も少なく、みんな思い思いにのんびり静かに散策を楽しんでいました。
ぶらぶらと駅の方へ戻りつつ。途中の通りにも古い建物が残っていたり、見どころたくさんです。そして気になったのがあちこちにある湧水。ふつーの民家の家先にもたくさん見かけました。ひしゃくがあるところは飲んでも良かったようですが、ご時世もあり今回は控えました。 たくさんの湧水で気になった通り、事前のおべんきょ不足でしたが、島原は水の都、だったようです(^^; 湧水スポットの一つ、鯉の泳ぐまち。昨日、夕飯がてらちょっと来ましたが、改めて今日観光してみます。 湧水庭園 四明荘。明治後期に別邸として建築され、四方の眺望に優れていることから「四明荘」と名付けられたそう。紙コップだったけど(^^; お茶を頂けます。案内の方(パンフレットなどの写真にも載られている方だったかと)と少しだけお話も出来ました。気になった湧水のことを聞いてみたところ、この辺ではどの家にも湧水があり、普通に生活用水として使っているとのこと。 そして、お庭の池の水がとにかく綺麗!! 色々なところの綺麗な庭園たくさん見て来たと思うけど。これだけ澄んだ綺麗なお庭の池を見たのは始めてじゃないかな? そんな話をしつつ。お水も空気も綺麗な島原ではまだコロナ感染者はいないとかで、そんな場所へ東京からすみません、だったけど。この日はお天気もよく、解放された空間。そして綺麗なお水と空気。大丈夫よ〜、と。短いけど素敵な時間を過ごせました。
しまばら湧水館、観光交流センター清流亭、など覗きつつ。あちこち駆け足過ぎて時間が余ったので(^^; また島原城周辺で、先ほど見逃した辺りを見たりして。 少し早かったけど、港へと向かいました。 帰りも熊本フェリーで熊本へ戻り、今日はこのまま熊本で1泊です。後で、鹿児島まで移動しちゃった方が良かったな… と思ったけど、計画時点では、明日の朝の移動で良いか、と思っていたのでした(--;) ホテルに荷物を置いたら、もう良い時間なのですぐに夕飯。一昨日同じく、駅ナカの肥後よかもん市場の別のお店、今日はお寿司屋さんにします。本日の握りは、メニューを間違えて写したようで(^^; ネタは不明。飲みたい焼酎がなかったので、珍しく!? ビールの後は日本酒の墨守をちびちびと頂きつつ… 美味しかった♪
色々と明日の予定を考え直したりして(ベースは変わらないけど、細かいところを色々と組みなおし)、よし、と決まったところでお休みなさい(-_-).。oO (歩数:26997歩) NEXT>> |