2日目(9月11日) 朝食を頂いたらチェックアウト。何やらお土産が… 島根県でキャンペーンをやっているらしく、宿から、という訳ではなさそうだけど、日本酒(四合瓶)とお米(四合)でした(@_@) 県外のお客さんには県民割りがないし…と。とってもありがたいけど、まだ旅の初日。この後、移動のたびに持ち歩くのはちょっと重かった(^^;
今日はバスで東萩へ移動。乗客は大分萩に近づくまでずっと私一人でした(^^; 予定通りに東萩駅に到着、ホテルに荷物を預けたら観光開始!! まずは萩城城下町周辺へ。最初に目に付き入ったのは円政寺。1254年に創建され、現在の場所へは1870年に移転。神仏習合の珍しい形態が見られます。金刀比羅社殿に掛かる天狗の面は、幼い頃の高杉晋作がいつも家人に見せられて物おそれしないようにしつけられたという逸話が。境内には他にも高杉晋作や伊藤博文が遊んだといわれる1820年に寄進された木馬も残っていました。けして大きくはないけど、見どころたくさんのお寺でした。
城下町に残る旧宅などを順番に見て回ります。 まずは青木周弼旧宅。幕末当時の日本屈指の蘭学者で、藩主毛利敬親の侍医も務めました。続いて木戸孝允旧宅。生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごしたそうです。簡単にガイドをしてもらったり、色々見どころはあったけど、写真もあまり撮らなかったようで(^^; 細かいことは覚えていません…
古い町家や武家屋敷の中では一番の見どころでしょうか、菊屋家住宅。藩の御用商人だった豪商で、様々な役割を担っていたようです。現存する町家としては全国でも最古に属するそうで、主屋、本蔵、金蔵、釜場、米蔵が国の重要文化財に指定されています。 ここでも色々ガイドしてもらい、蔵以外は自由に写真撮って良いとのことだったけど、お話聞いていると中々撮る暇がない(^^; 伊藤博文から贈られたという時計は今も週に1回ネジを巻いていて、正確に動いているとのこと。
菊屋家と対峙するかのように立ち並ぶ旧久保田家住宅。呉服商・酒造業を営んでいたそうです。菊屋横丁をてくてく歩いていたら高杉晋作誕生地があったのでここも入って見ます。建物の中には入れないけど、外から見えるように公開されていて、産湯に使ったと伝えられる井戸も残っています。 最後に旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。厚狭毛利家の武家屋敷でここも外から見るだけ。主屋などは明治維新後に解体され、この長屋だけが残っているそうです。
この後駅の反対側まで移動するので、ビール休憩しながらバスの経路を確認していたら、当初ちょっと場所が離れていそうだから諦めていた反射炉の近くを通って私の目的地へ行くようです。立ち寄りましょう!! 世界遺産の明治日本の産業革命遺産の構成資産のひとつでもある萩反射炉。煙突部の遺構が現存しています。日本に現存する反射炉の遺構は、この他静岡県の韮山と鹿児島県の旧集成館のみで貴重な遺構とされています。続いて恵美須ヶ鼻造船所跡。1856年に開設した造船所跡で、萩藩最初の洋式軍艦が造られました。造船所跡は何もなかったけど、当時と同規模の防波堤が残っています。周りはのんびりと静かな港、という感じでした。
この二つと、バス停があるみちの駅をぶらっと見て、次のバスまで丁度良い感じの時間でした。 伊藤博文別邸は1907年に東京に建てたもので、玄関、大広間、離れ座敷の3棟が移築されています。隣接して伊藤博文旧宅も残っています。 最後に松陰神社。1907年に創建の吉田松陰を祀る神社です。境内には吉田松陰が主宰した私塾で伊藤博文や高杉晋作など幕末維新に活躍した多くの人が学んだ松下村塾や、実家である杉家旧宅も残っています。 宝物館もあったけどそちらはパスして、吉田松陰歴史館へ入ってみます。70体あまりの蝋人形で吉田松陰の生涯を再現していて、何というか… まぁ…(笑) という感じ(笑) 生涯を分かりやすく知ることは出来ました。
他にもまだまだたくさん見どころはありそうな萩だけど、これで観光終了。 ホテルにチェックインして一休みしたら夕飯へ。駅周辺にはほとんど何もないけど、手頃なお店ありました。 魚のメニューにある金太郎。始めて聞いたけどスズキの仲間の小魚で標準和名はヒメジ。なぜかは分からないけど萩地方では金太郎というそうです。この日はお刺身がなかったので(金太郎以外も刺身はないと言われた(--;))天ぷらに。後から調べたら天ぷらポピュラーなようです。 そのまま、シソ巻、のり巻の3尾。美味しい白身のお魚でした。 飲み物は、萩の芋焼酎、あいしまと、萩の日本酒、長門峡。
ホテルに戻り、メモをまとめたり明日の予定を考えたりして今日も終了。 (歩数:27345歩) NEXT>> |